最近、読了した2冊より
刺さった言葉を自分用の
メモ代わりに書きました。
中山七里著
「ヒポクラテスの誓い」
解説より部分的に抜粋
本書のように専門的な内容でも
取材に出かけることは一切ない
らしい。まさに
「小説家、見てきたような
嘘をつき」の典型。著者いわく
サラリーマンを28年やって
きましたがその中で得た知識や
経験は一切書いていません。
「さよならドビュッシー」は
音楽のことを書いてますが
ピアノを触ったことも
ありません(笑)
書こうと思ったときに初めて
ドビュッシーのCDを買ったくらい
物書きが生き長らえる理由に
想像力を物語に落とし込む能力。
「依頼された仕事を断らない」
「自分が書きたいものを
書いていない」
僕は戦略的に
「皆が読みたいものを書く」
ことに特化して、物語がどんな
読者層にどれだけの波及力
訴求力があるのかを
考えています。
石川拓治著
「天才シェフの絶対温度」
HAZIME米田肇の物語
より部分的に抜粋
彼が5年生のときに書いた
作文に書いてある。
「でも、いちりゅうの料理人に
なるためには、大学をでなければ
いけません」
これは、父に説得されたのだろう
肇を大学に行かせることは
彼が生まれたときに宏と
和子が話し合って決めたこと
だった。
「財産と違って、知識は誰も
奪えない。お金は失うことも
あるが、自分の身についたもの
はこの子の一生の役に立つもの
だから」
人生の節目が来るたびに、肇は
料理の道へ進みたいとゆう
自分の夢を父に訴えた。
そのたびごとに逆に父に説教
された。(大学への進学のこと)
宏(父)は反対したのではなく
肇の意志の強さをはかって
いたのだと思う。
どんなに厳しい父親と比べても
現実の方が遥かに、桁違いに
厳しいのだ。
大学を卒業した肇は就職して
電子事業本部に出向。
子供の頃からの夢を思い出した
んです。
自分は本当は料理人に
なりたかったんだって。
それなら自分は、
石の上にも3年じゃない
けど、仕事ができるように
なって、友達や先輩もできて、
ここの生活が楽しくなってから
それでも自分は料理を
やりたいのかどうかを
考えてみようかと
思いました。
こうして米田肇は
1998年4月、
エコール・キュリネール辻
フランス料理専門学校
カレッジに入学する。
25歳になっていた。